河合惣兵衛邸跡
兵庫県姫路市神屋町4丁目39
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  文化13年(1816)、姫路藩士・河合宗信の子として生まれました。

名は宗元、はじめ藩校好古堂の肝煎役(きもいりやく:世話役)となり、ついで使番勘定奉行、宗門奉行(民衆の信仰する宗教を調査する)となり、さらに物頭、持筒頭となりました。
 
  文武両道に達し、早くより尊攘論に傾倒し、姫路藩尊攘派の領袖(りょうしゅ:人を率いてその長となる)として活躍していましたが、元治元年(1864)「甲子の獄」に連座して禁固を命ぜられ、のち獄に下りました。

同年12月26日、自刃を命ぜられ、49才で没したのです。

尚、邸はこの碑の前の道路を挟んだ所、この外堀川に沿って、「銀の馬車道」を南に歩けば「河合惣兵衛記念碑」がありました。

『現地案内を参照』
    
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