姫路藩 勤王志士終焉之地碑
兵庫県姫路市塩町149
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  文久2年(1862)3月、姫路藩にも攘夷か開国かの議論が起こり、河合惣兵衛らの攘夷派と家老・高須隼人らの佐幕派に分かれます。

姫路藩主・酒井忠績が老中首座になったことで、姫路藩では河合惣兵衛ら勤王派藩士らがうとましくなってきます。

惣兵衛の子・河合傳十郎宗貞らが脱藩、すぐに捕らえられると攘夷派の取り締まりが強まり、惣兵衛も捕らえられるのです。
 
  惣兵衛以下6名は切腹、2名は打ち首、6名は永久投獄、のべ76名が処罰を受けました。

この事件は「甲子の獄」と呼ばれています。

この地には姫路藩の獄舎があり、元治元年(1864)12月26日、勤王派の志士8名が処刑された所なのです。
    
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