大川藤蔵殉難之地
兵庫県朝来市山内413
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  天保8年(1837)、常陸水戸藩士の小河吉三郎(大川蔵藤)は、林忠左衛門らと江戸の鹿児島藩邸で攘夷を訴えますが、水戸に送還されて禁固処分となりました。

文久3年(1863)生野義挙の際、大川蔵藤は妙見山本陣に向かい、南八郎に本陣解散を伝えましたが聞き入れられず、同じ水戸藩士である川又佐一郎と共に妙見堂を下山します。
  
丹波路に入ろうとした時、農民達に追われサケジ谷の岩の上で自刃、川又は農民達に捕まり出石藩に引き渡されました。

時に27才、サケジ谷はここから1キロほど先に行った山中にあります。

『生野義挙史跡めぐり資料を参照』
    

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