滝善三郎の碑
兵庫県神戸市兵庫区北逆瀬川町1-39
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  開港間もない神戸で起きた外国との紛争で、発足最初の外交問題で苦境に立たされた明治新政府を救い、日本が外国に植民化されるのを未然に防いだのが神戸事件の滝善三郎正信の死でした。

慶応4年(1868)1月十一日西宮警備を命令された備前藩兵が大砲を引いて西国街道を通過中、三宮神社前で行列を横切ろうとしたフランス水兵を槍で刺傷させました。
 
  いわゆる「神戸事件」が起こり、神戸の町は一時、外国兵によって占拠されるありさまでした。

この事件で、備前藩責任者の処罰によって決着がつきますが、全責任を負って永福寺で外国人代表の立ち合いの面前で滝善三郎は切腹をするのです。

もと永福寺にあった供養碑は昭和44年に能福寺に移されています。

『現地案内を参照』
    
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