十七烈武の墓
京都府乙訓郡大山崎町大山崎天王地内
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京都府の幕末史跡3
文久3年(1864)、禁門の変の時、敗れ天王山の山中で自刃した隊長真木和泉守平保臣以下十七名のお墓です。
長州藩を中心とした尊皇攘夷派が、会津藩主・京都守護職松平容保らの排除を目指し挙兵し、京都市中で繰り広げた戦いです。
この戦いで、薩摩藩兵が援軍に駆け付けると、尊皇攘夷派は敗退するのです。
久留米藩士の真木和泉は長州軍に参加し、山崎に陣を構え、久坂玄瑞と共に向日町、物集女、桂方面に出撃するも敗退し退却します。
真木以下、十七名は天王山に踏みとどまり、殿軍(しんがり)をつとめるも、最後は陣屋に火をかけ全員自刃をするのです。
山崎の合戦の天王山へ上る途中にあるよ。
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