戊辰戦争の初戦となった「鳥羽・伏見の戦い」は、上鳥羽(京都市南区)、下鳥羽(竹田・伏見)、橋本(京都府八幡町)で行われます。
慶応4年(1868)元日、旧幕府軍は「討薩表」を発し、京都に向け進軍、幕府歩兵隊、桑名藩兵、見回組は鳥羽街道を、会津藩、新選組は伏見市街を進み、本営は淀本宮に置かれました。
鳥羽街道を通行する旧幕府軍と、その通行を阻む薩摩軍が衝突、薩摩藩軍の大砲により旧幕府軍は下鳥羽方面に退却しました。
伏見では、旧幕府軍は旧伏見奉行所を本陣に、薩摩・長州藩兵は御香宮神社を中心とし、奉行所を包囲、薩摩藩が放った砲弾により奉行所は炎上、旧幕府分は退却しました。
その後の「淀の戦い」、「橋本の戦い」で新政府軍が優位になると、徳川慶喜らは大阪湾から軍艦で江戸へ退却するのです。
『Wikipediaより』
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