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坂本龍馬お龍「結婚式場」跡 | |||||
京都府京都市東山区五軒町10 | |||||
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一般には、慶応2年(1866)1月の伏見寺田屋遭難のあと、西郷隆盛(あるいは中岡慎太郎など)の媒酌で二人は夫婦の契りを結びました、しかしこの話には根拠が薄く、お龍の話の方を信用すべきと云われています。 この地が選ばれたのは、お龍の亡父・楢崎将作(しょうさく)が青蓮院宮に仕えた医師であったため、その縁で金蔵寺住職智息院が仲人をつとめました。 当時は池田屋事件や禁門の変の起きたあとで、京都は物情騒然し、しばらくして龍馬は薩摩島津家から望まれ、対立した長州毛利家との和解に奔走しました。 龍馬は新婚生活を楽しむいとまもなく、お龍を寺田屋などに託し、二人はながく別居夫婦だったそうです。 『現地案内を参照』 |
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