新選組洛中最後の屋敷跡
京都府京都市下京区南不動堂町
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京都府の幕末史跡3
新選組がこの地域に屋敷を営み、池田屋事件や禁門の変などでの活躍や、局長・近藤勇の政治的力量が高く評価され、慶応3年(1867)6月、徳川慶喜の直属の軍隊となりました。
これにあわせての新屋敷建設で、最盛期の邸宅で、近藤勇の甥で隊士だった宮川信吉の書翰(しょかん)によれば、同年6月15日に入居しています。
永倉新八の手記に「七条堀川下ル」とあり、当地付近に営まれたことは確実です。
同年12月、王政復古政変により、新選組はわずか半年で当屋敷を離れ、翌年1月の鳥羽伏見戦争の敗北ののちは、解体の道を歩むのです。
『現地案内を参照』
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