翠紅館跡
京都府京都市東山区桝屋町356
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  幕末のころ、ここには翠紅館(すいこうかん)と呼ばれていた屋敷があり、たびたび志士達の会合の場となっていました。

文久3年(1863)、正月27日には、土佐藩の武市半平太、長州藩の井上聞多、久坂玄瑞ら多数が集まり、同年6月17日にも長州藩の桂小五郎、久留米藩の真木保臣(和泉守)らが集まりました。

攘夷運動は次第に高まり、反幕府の政治勢力となりつつあり、これら各藩の志士代表者会議で、攘夷の具体的な方法が検討され、世にこれを翠紅館会議といいます。
 
  同年8月13日には、孝明天皇の大和行幸の招書が出されて攘夷運動は頂点に達しました。

しかし8月18日、孝明天皇と中川宮(朝彦親王)が画策し、薩摩の島津久光や会津藩らは公武合体派と結び、行幸を中止させ、京都から長州藩と尊攘派公卿志士らを追放します。(七卿落ち)(文久3年8月18日の政変)

結果、攘夷派は失脚、代わって公武合体派が主導権を操り、幕末の政局は混迷の度を増していくのです。

『現地案内を参照』
    
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