新選組 太鼓楼
京都府京都市下京区鳥居前町
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  新選組は、「池田屋騒動」(元治元年1864)以降隊士が増え、壬生の屯所では狭くなったこともあり、慶応元年(1865)3月10日、屯所を壬生から本願寺に移し、境内に「新選組本陣」の看板を掲げ、北東にあった北集会所と太鼓楼を使用していました。

本願寺は長州との深い縁もあり、幕末の尊皇攘夷運動のなかで幕府と対立していた長州藩士たちが、何かにつけて本願寺を頼りにしていたため、新選組は本願寺のなかに本拠を移すことによって一石二鳥の効果をねらったものでした。
 
  新選組は境内で大砲を轟かせたり、実弾射撃をおこなったり、乱暴を繰り返したため参拝の門信徒や僧侶らを震撼させる毎日であったそうです。

新選組の活動期間は六年ぐらいであり、大部分が暗殺されていった中、結成時からの元隊士、島田魁(さきがけ)が明治維新後、本願寺の守衛を勤め、終生お念仏を喜びながら太鼓番をしたという話が伝わっています。

明治6年、北集会所は姫路市(亀山)本徳寺に一部移設され、現在の本願寺は太鼓楼だけが当時をしのばせています。

『現地案内を参照』
    
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