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幕末の頃、松江藩は外国船に備え、海辺の要地に唐船番という兵団を置いて監視をしました。
寛政12年(1800)、出雲国と石見国の国境に位置する田儀浦の港にも、この唐船番が設けられ、文政3年(1820)には船乗組という船団も編成されていました。 |
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嘉永6年(1853)6月、ペリーが浦賀に来航、翌月にはロシアの軍艦が長崎に入港して通商を求めます。
幕府は兵備を整え、海防をかためるように各藩に指令を出しました。
松江藩も海岸の要所へ一層の防備を命じ、当地では田儀湾の東、この手引き浦の高台と西田儀川口の二ヵ所に台場を築いて、大砲を三門ずつ配備しました。
『現地案内を参照』 |
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