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幕末ごろ藩主の御六尺(かごかき)田中家の三男として文久3年(1863)乙熊がここで生まれました。(生まれは元治元年1864との説あり)
乙熊は3歳のとき平安古に移り、成長して義一と名を改めます。
13歳のとき新堀小学校の授業生(代用教員)に登用され、萩の乱にも参加しましたが、のち陸大に進学しました。 |
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大正7年(1918)以降、原敬内閣の陸軍大臣、次いで陸軍大将に進み、再び陸軍大臣となりました。
大正14年(1918)、政友会総裁に推されて政界に入り、昭和2年(1927)内閣総理大臣となり外務大臣、拓務大臣を兼任していました。
『現地案内を参照』 |
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