白鳥陵古墳

大阪府羽曳野市軽里3
大阪の古墳めぐり
   

白鳥陵古墳は、古市古墳群の南部の、西から東に延びる見晴らしの良い台地の上の平坦面に築造された大型の前方後円墳です。

墳丘の長さは200m、後円部は直径106m、高さ20m、前方部は165m、高さ23mと後円部に対して、前方部がより大きく造られています。

墳丘は3段に築かれ、くびれ部の北側には造り出しが設けられました。

広い濠の外側には堤と2重目が溝が巡り、古墳時代中期後葉(5世紀後半)に築造されたと推定されています。

「日本武尊(やもとたけるのみこと)は遠征の帰り道に伊勢で亡くなり、白鳥に姿を変えて河内の旧市邑(ふるいちのむら)に舞い降りました。そこに陵が造られましたが、ついには天に上がってしまわれました」

という白鳥伝説が「日本書記」などに伝えられています。

この時「羽を曳くように空を飛んでいった」という言い伝えは、羽曳野市の名称の由来と云われています。

『現地案内を参照』

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