定の山古墳

大阪府堺市北区百舌鳥梅町
大阪の古墳めぐり
   

定の山古墳は、中世には「東村砦」と呼ばれる城として利用され、もともとは前方部を西に向けた帆立貝形古墳(前方部が後円部より短い形態の前方後円墳)です。

周濠と呼ばれる古墳の周囲を巡る濠の跡も水田の畦(あぜ)にくっきりと残っていました。

元の墳丘は全長約69m、後円部径約53m、高さ約7m、前方部幅約29mの規模と考えられ、葺石(古墳の表明に貼り付けた挙大の自然石)と須恵器埴輪を含んだ形象埴輪片が確認されています。

前方部と後方部の接点には、底部のみを残す程度の15個の円筒埴輪がわずかに弧状を描いて並んでいました。

前方部が削平された時、墳丘中央付近で埋葬施設の可能性がある粘土の塊が認められたと云われています。

出土した埴輪からニサンザイ古墳より若干古い、5世紀後半頃の築造と考えられています。

『現地案内を参照』

HOME  大阪の古墳めぐり