大塚山古墳

大阪府松原市西大塚・羽曳野市南恵我之
大阪の古墳めぐり
   

被葬者は明らかではありませんが、第21代・雄略天皇の陵画家参考地に治定されています。

長さ335mの前方後円墳で、全国では5番目の規模をもっています。

ちなみに、1位は大仙陵古墳(仁徳天皇陵古墳)、2位は誉田御廟山古墳(応神天皇陵)、3位は上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵)、4位は岡山造山古墳だね。

この古墳はお城としても利用されています。

鎌倉時代の初め、鎌倉からこの地に下向した佐々木高綱の子孫・丹下氏が城として居住していました。

建武4年(1337)、楠木氏に属していた丹下八郎太郎はのち北朝方に味方し、南朝方の和田氏の攻撃を受けたと云われています。

天正3年(1575)、信長の河内国の城郭破却令により、丹下氏は退却、丹下城も壊されました。

信長の命により、丹下氏は退却し城も壊されています。

『参考文献&WIkipediaを参照』

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