三草合戦
兵庫県加東市社町三草山
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国道372号線の社町で中国縦貫道路を越えてから1kmほど行くと、「やしろ国際学習塾」があります。 北東の標高423m三草山には三草山城(みくさやま)があります。

三草山の山麓をはしる街道は播磨と丹波を結び、京の都への道、「三草山合戦」とよばれる源氏と平氏の古戦場跡には小雪が舞っていたのです。

 
 
寿永三年(1184)、平家追討のため、源範頼と源九郎義経は平氏の拠点福原を目指して出陣します。

範頼は西国街道を、義経は丹波路を進みます。

義経の率いる一万余騎は、丹波小野原の里に布陣します。

民家や山野に火を放ち、三草三里の山中を駆け抜け、一挙に平家の陣に突入しました。
  
  三草山の西の山口に陣取る平資盛(清盛の嫡男重平の次男)、平有盛(重平の四男)、平忠房(重平の六男)、平師盛(重平の五男)など平家一門七千余騎は、不意の夜討ち弓矢を取るいとまもなく、もろくも屋島をさして敗走していきました。

これが世にいう「三草合戦」なのです。

『現地案内を参照』
  
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