大物主神社
兵庫県尼崎市大物町2丁目7-6
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阪神電車なんば線「大物駅」を南へ、100mほどで大物主神社がありました。

 
  「義経 弁慶隠家跡の碑」

源頼朝から追討された主従は、西国へ船出(1185)するために、当社東側にあった七軒長屋に逗留したと云われています。

この逗留の後、当時は社前まで波寄せていたという大物浦から船出した一行は、暴風雨のため押し戻され、奥州藤原氏を頼って逃れていくのです。
  
  二千年前、第十代崇仁天皇のころ、日本全土が悪疫病にさらされ、滅亡寸前になり、帝は大物主大神に奉り、平癒を祈願されました。

その時、大和三輪山に大物主大神が祀られ、命を受けて、大神八世の御孫大田田根子命の後裔鴨部祝が祖神様を当地に奉斎したのが始まりです。

平清盛は、広島の厳島参拝の時、祭神市杵島姫命をこの大物の社に合祀されています。

『現地案内を参照』
  
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