北座跡
京都府京都市東山区常盤町149-1
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京都府の平安宮史跡2
寛文10年(1670)以降、鴨川の両岸に新堤が築かれたことにより、鴨河原の風景は一変しました。
河原は「新地」となり、ここに広大な芝居街と茶屋町の出現となりました。
延宝4年(1676)の絵図「祇園社並旅所之図」によれば、この時期すでに東岸の四条通をはさんで、計6軒の芝居小屋が描かれています。
17世紀末の元禄期になると、芝居小屋は7軒に増加する18世紀初頭の「京都御役所向大概覚書」によると、四条北側芝居は井筒屋助之丞 両替屋伝左衛門の所有とあり、さらに南側芝居は大和屋利兵衛、越後屋新四郎、伊勢屋嘉兵衛の三者が所有者としてあげられていました。
しかし、たびたびの大火で19世紀末にはわずか北側の1軒、南側に1軒となり、その北側の1軒北座も明治26年(1894)に四条通拡幅によって消滅するのです。
『現地案内を参照』
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