吉水神社
奈良県吉野郡吉野町吉野山679
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  御祭神は後醍醐天皇、楠木正成公、吉水院宗信法印公です。

元は吉水院(きっすいいん)といい、天武天皇の白鳳年間に役行者が創建した格式の高い修験宗の僧坊でした。

明治時代に神仏分離が行われ、後醍醐天皇の南朝の皇居であったことから、明治8年に「吉水神社」と改められました。
  
  延元元年、後醍醐天皇が京の花山院から行幸され、吉水院宗信法印の護衛のもと、吉水院を南朝の皇居とされました。

南朝4代、57年の歴史はここより始められ、現存する南朝唯一の行宮となっています。
    
  文治元年、ここ吉水院に兄・頼朝の追手に逃れた源義経と静御前が弁慶等と共に隠れ住まわれました。

悲運に生きた一代の英雄と佳人との悲恋物語を後世へ伝えてきた数々の遺品が吉水神社には残れています。
    
  文禄3年、豊太閤(豊臣秀吉)が吉野で盛大な花見の宴をした際、ここを本陣とされ、数日間滞在されました。

歌の会、お茶の会、お能の会などを開いて満天下に権勢を示されたのです。
    
  北闕門(ほくけつもん)、いつの日か北闕(京都)に凱旋できる時を待たれていましたが、悲しくも夢なかばにして、南朝の皇居で崩御されました。

「玉骨は、たとえ南山(吉野山)の苔に埋むるとも、魂は常に北闕(京都)の天を望まんと思う」と悲痛な哀悼の御言葉を遺され、家臣はここで号泣したと云われています。

『現地案内を参照』
  
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