誉田八幡宮
大阪府羽曳野市誉田3-2-8
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  誉田八幡宮(こんだはちまん)は、第15代・応神天皇(誉田別尊:ほむたわけのみこと)、第14代・仲哀天皇、神功皇后を主祭神とします。

第29代・欽明天皇の勅定によって、応神天皇陵の前に営まれていた社殿を、第70代・後冷泉天皇の頃に、南へ1町(約109m)離れた現在の場所に造り替えられています。
  
  鎌倉時代から室町時代にかけて、源氏の氏神である八幡神を祀る社として、将軍家をはじめとする武士の信仰をあつめ、社殿の造営や宝物の奉納がおこなわれました。

しかし戦国期にはたびたび合戦場となって兵火にかかることもありました。
    
  南北朝初期の正平年間には、北朝方の細川兄弟と楠木正行の間で合戦が行われ、室町中期の享徳年間には畠山政長と義就(よしひろ)の間で再三にわたり誉田合戦が行われました。

永正元年(1504)、前記の孫に当たる畠山植長(たねなが)と義英の合戦のあと、和議となり誉田八幡宮「社前の盟約」が結ばれています。

大阪夏の陣では、大坂方の秀頼に仕えた武将・薄田隼人正(すすきだ)もこの境内に大陣を置き、この地より出陣して道明寺付近で、討死をとげています。
    
  応神天皇の恵我藻伏崗陵です。

本殿から応神天皇陵に向かう参道を横切って流れる放生川には放生橋が架かっています。

9月15日、応神天皇の神霊をのせた神輿が、本殿からこの橋を渡って応神天皇陵へ渡御する神事が厳かに執り行われているのです。

『現地案内を参照』
  
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