野間神社
大阪府豊能郡能勢町地黄399
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  推古天皇13年(605)9月、大和国布留宮(ふるみや)より「勾玉」の御神体を奉祭したと記されています。

天喜2年(1054)、大和国布留宮より遷座がなされたとも記され、今の奈良県天理市の石上神宮の分霊を布留道を通り遷座され、古くは「布留宮」、「布留社」と呼ばれていました。

祭神は、邇速日命(にぎはやひのみこと)、宇賀御魂神(うかのみたまのかみ)、菅原道真、草野姫命、野見宿禰(のみのすくね)です。
  
  邇速日命は物部氏の祖神で、石上神宮は物部氏の氏神であり、この地域一帯は、物部氏の勢力下にあって、しかもその一族の影響力の強い野間氏の氏神だった可能性があります。

野見宿禰は土器をつくって朝廷に献上した氏族で、宿禰を祭神にしているのは、雄略天皇期に能勢より土器を献上したとし、土器氏(はじし)の祖として祭祀されたと考えられます。
    
  当社の鎮座する地域を「地黄(じおう)」と呼ぶのは、石上神社より分霊と共に、この地に同道した人々が持ち来たり、産出した薬草「地黄草(じおうそう)」の名にちなんだものだと云われています。

平安時代には、当地は朝廷典薬寮領の地黄御薗として、薬草の貢献が行われていました。

『現地案内を参照』
  
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