播磨公弁円の墓

兵庫県宍粟市山崎町川戸304-2
兵庫県の源平史跡4 
 
中国自動車道「山崎IC」からを26号線を南へ、御名交差点から80号線を東へ、揖保川を渡り500mぐらいで北の集落へ入ります。

集落の北の方、岩田神社の南には播磨公弁円の墓がありました。

「豊前僧播磨公弁円の墓」とあります。

平清盛の嫡男・宗盛の一子副将能宗(よしむね)は治承4年(1180)に生まれ、6歳の3月、平氏一族が壇ノ浦に破れ、孤独の身となり、祖父母の住む川戸の地で16歳まで播磨の国を去るまで暮らしています。

18歳で修験道の苦行に励み、まもなく一坊を司り、豊前僧播磨の公弁円を名乗りました。

   
建歴2年、関八州の僧司となり弁円の名声は高まります。

親鸞聖人が稲田に草庵を結ばれたのが建保5年(1217)、親鸞の専修念仏を妨害しようと、板敷山(石岡市)で待ち伏せしていた弁円は、親鸞の人となりに打たれ帰依し、弟子となるのです。

『現地案内を参照』

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