兵庫県赤穂郡上郡町小野豆 | |
兵庫県の源平史跡4 | |
JR上郡から5号線を東へ、千種川を越え、宇治山交差点を過ぎてまもなく450号線へ、ひたすら山道を登ります。 山頂には平家が隠れ住んだ集落があり、ふれあい公園には経盛の塚がありました。 |
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壇ノ浦の合戦で平家は惜敗、九死に一生を得た「平経盛」(清盛の実弟)は、小舟で瀬戸内の東方をめざし播磨の相生の入江に漂着します。 人目を避けながら、小野豆にたどり、ジャンジャン穴を見つけ生活をしました。 源氏は平家の残党を探し、谷川で茄子のヘタが流れて来るのを見たり、鶏が鳴く声が聞こえたのです。 |
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寿永4年(1185)、経盛たちはとうとう見つかり自害しました。 家臣たちは遺骸を思い出の相生の浦や、屋島も一望できる見晴らしの良い場所に葬ったのが平家塚なのです。 『現地案内を参照』 |
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