一ノ谷合戦 平家の生田陣所

兵庫県神戸市須磨区一ノ谷町1丁目2
兵庫県の源平史跡1 
 
JR神戸線、「三宮駅」を北へ降りて300m、繁華街を抜けると生田神社があります。

その神社の奥には一ノ谷合戦で平氏が陣を構えた「生田の森」があります。

「生田の森」

寿永二年(1183)、木曽義仲(源義仲)が後白河法皇から平家追討の命を受けて京へ攻め入ると、平氏は瀬戸内の屋島へ逃れました。

屋島で勢力を回復した平氏は、東は生田神社から西の一ノ谷まで陣を構えていました。

   
元暦元年(1184)、京を出た義経は丹波から、ひよどり越えで一ノ谷に向かいます。

義経は一の谷の背後の断崖を駆け下り、陣へなだれ込むと、平氏は総崩れとなり沖へと敗走するのです。

これを「義経の坂落とし」といい、この合戦で平重衡は捕まり、忠度・経正・師盛・知章・清貞・敦盛・業盛は討死するのです。

『参考文献を参照』

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