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生田陣所 | ||
神戸市中央区下山手通1丁目2 | ||
一ノ谷合戦で平氏軍は、東は生田神社から西の一ノ谷まで陣を構えていました。 | ||
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梶原の井 | ||
神戸市中央区下山手通1丁目2 | ||
「かがみの井」とも云われ、寿永の昔(八百年前)源平生田ノ森の合戦の折、梶原景時がこの井戸の水を汲くんで生田の神に武運を祈ったと伝えられます。 | ||
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三宮神社 (河原霊社) |
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神戸市中央区三宮町2丁目4-4 | ||
一ノ谷合戦で、平家方の生田の森へ、源氏の勇士河原兄弟は、一番乗りの功名手柄を立てました。 | ||
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北野天満神社 | ||
神戸市中央区北野町3丁目 | ||
治承4年(1180)、平清盛の「福原遷都」をつくるに当たって禁裡(きんり)守護、鬼門鎮護の神として、京都北野天満宮を勧請して祀られた神社です。 | ||
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諏訪神社 | ||
神戸市中央区諏訪山町5-1 | ||
寿永3年(1184)、一ノ谷の合戦の兵火に遭いました。 この戦いで、源義経が祈願したとも云われています。 |
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花隈厳島 神社 |
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神戸市中央区花隈町6-5 | ||
平清盛が福原京を造営した時、広島の厳島神社より七社を神戸に勧請した中の一社と云われています。 また清盛七辨天の一つ、「健康辨天」です。 |
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小野八幡神社 | ||
神戸市中央区八幡通4-1 | ||
一ノ谷の合戦の際、生田の森で命を落とした河原兄弟の功績に報いるため源頼朝が建立した報恩寺の鎮守の神となりました。 | ||
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東川崎蛭子神社 | ||
神戸市中央区東川崎町7丁目4-12 | ||
平清盛が大輪田泊の大改築の際に勧請された七辨天の一つが祀られていると云われています。 | ||
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旗 塚 | ||
神戸市中央区旗塚通 | ||
寿永3年(1184)、一ノ谷の合戦の時、源範頼(のりより)が生田川の東に陣取り、古墳に源氏の旗を立てたと云われています。 | ||
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布引の滝 | ||
神戸市中央区葺合 | ||
源義平(通称:鎌倉悪源太)が平家方の難波経遠により命を奪われました。 難波経遠が清盛のお伴をして布引の滝へ来た時、雷に撃たれ命を落とすのです。 |
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荒田八幡神社 (安徳天皇の碑) |
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神戸市兵庫区荒田町3-16-1 | ||
治承4年(1180)の福原遷都の際には安徳天皇の行在所となりました。 | ||
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宝地院 | ||
神戸市兵庫区荒田町3-17-1 | ||
安徳天皇の御菩提を弔うため、弘安2年(1279)に創建されました。 当寺域は、もと平清盛の弟・平頼盛の山荘にして、治承4年6月3日には安徳天皇が入ります。 |
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雪見御所跡の碑 | ||
神戸市兵庫区雪見御所通2 | ||
平清盛が福原にいくつかの邸宅を持っていたと云われ、そのひとつが「雪見御所」です。 | ||
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平清盛之像 | ||
神戸市兵庫区下三条町24 | ||
平野交差点にあります。 この辺りは「雪の御所」や「祇園神社」など福原遷都の史跡が沢山ありますよ。 |
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浄海入道 平清盛像 | ||
神戸市兵庫区下三条町8-23 | ||
春は花見の岡の御所、夏は平野の祇園祭 秋は月見の浜の御所、冬は雪見の御所に平野の温泉 日本一の天下人、人呼んで 福原の浄海入道 平清盛 |
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祇園神社 | ||
神戸市兵庫区上祇園町12-1 | ||
仁安2年(1167)、平清盛が太政大臣を辞し、病のため出家して、十年以上にわたり、居住された地が祇園神社周辺の「平野」です。 | ||
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塞神石碑 (さいのかみ) |
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神戸市兵庫区祇園町6 | ||
「塞神」の碑は、ここには東西に通る古代からの人道「古道街道」があり、旅人の安全を守ってくれる神さまです。 | ||
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湊山温泉 | ||
兵庫区湊山26-26-1 | ||
平清盛像がある平野交差点から少し西には福原の雪見御所がある、その辺りから適当に北側を上っていくと湊山温泉があります。 | ||
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大山咋神社 | ||
兵庫区山王町1-6-5 | ||
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治承年間には、平清盛の福原遷都に際し、五條大納言邦綱に雪御所鎮護のため、再建造営をしたと云われています。 | ||
夢野八幡神社 | ||
神戸市兵庫区氷室町1-8-8 | ||
平清盛の福原新都造営にさきがけ、都の守護のために治承元年(1177)に創られたと云われています。 | ||
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氷室神社 (清盛七弁天) |
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神戸市兵庫区氷室町2-15-1 | ||
清盛七弁天の一つ (恋愛辨天) 福原遷都の時、氷室神社付近には平教盛の別邸があったと云われ、後白河法皇がこの邸内に幽閉されていました。 |
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熊野神社 | ||
神戸市兵庫区熊野町3-1-1 | ||
平清盛が福原遷都の際、皇城鎮護の神として、後白河法皇のご崇敬の厚い紀州熊野権現を勧請し、この地に祭祀します。 | ||
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東福寺 | ||
神戸市兵庫区五宮町18-1 | ||
昔は祇園神社の近くにありました。 源平の戦いで一時焼失したらしいよ。 |
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善光寺 平業盛の塚 |
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神戸市兵庫区会下山町2-18-13 | ||
清盛の弟教盛の末子である業盛(なりもり)の塚がありました。 | ||
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願成寺 平通盛の墓所 |
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神戸市兵庫区松本通2丁目 | ||
平通盛(みちもり)は、平清盛の異母弟である平教盛の嫡男です。 通盛と小宰相局の供養塔は寄り添いひっそりと眠っています。 |
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厳島神社 (お洒落弁財天) |
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神戸市兵庫区湊町2丁目 | ||
清盛七弁天の一つ (お洒落辨天) 福原遷都の際、平清盛が平家一門の氏神として深く信仰している安芸国厳島神社をこの地に勧請します。 |
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鎮守稲荷神社(平経俊の墳) | ||
神戸市兵庫区区七宮町 | ||
平経俊(つねとし)は、平清盛の甥で一ノ谷の合戦に華と散った平敦盛の兄です。 |
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七宮神社 (南無七大明神) |
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神戸市兵庫区七宮町2-33 | ||
平清盛公が兵庫津を整備するにあたり、工事が難航します。 清盛自筆の「南無七大明神」の神号を祀られたのが七宮神社と云われています。 |
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柳原天神社 | ||
神戸市兵庫区東柳原町1-12 | ||
平家一門また時宗(日本仏教のひとつ)の門徒の信仰が厚く、平忠度は天神画像の大軸を奉納しています。 | ||
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済鱗寺 (勉強弁財天) |
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神戸市兵庫区兵庫町2-1-38 | ||
清盛七弁天の一つ (勉強辨天) 済鱗寺(さいりんじ: 鱗とはうろこを救済するという意味)も海や川(古湊川)の辺にありました。 |
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恵林寺 (運動弁財天) |
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神戸市兵庫区兵庫町2丁目2-1 | ||
兵庫津七弁天の一つで、その内の一番北の端にあたり「波除の弁天」と呼ばれていました。 | ||
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久遠寺 | ||
神戸市兵庫区門口町4-5 | ||
久遠寺は兵庫津の中心地で、現在の神戸港発祥の中心に位置し、往時中国、四国、九州各地より海路の近畿方面への物資交易の終着地として、三川口は重要な地点でした。 | ||
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金光寺 (兵庫薬師) |
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神戸市兵庫区島上町2-12 | ||
経ケ島築造のとき、清盛の枕元に童子が現れ「兵庫の海中に霊仏があるので探しだすよう」と夢で告げました。 中から金色の光まばゆい黄金薬師尊が出現しました。 |
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福海寺 (時雨の松) |
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神戸市兵庫区柳原・西柳原10-10 | ||
境内には平清盛の時雨の松があります。 青葉から玉露を垂らし、霊験あらたかであったといいます。 |
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能福寺 (平相国廟) |
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神戸市兵庫区北逆瀬川町1-39 | ||
平安の末期(養和元年:1181)、平清盛の死去によって墓所平相国廟が建てられます。 | ||
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来迎寺 (松王入海の碑) (祇王・祇女塔) |
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神戸市兵庫区島上町2-1-3 | ||
兵庫港工事は難航し、松王が人柱となりました。 清盛が愛した近江出身の白拍子の姉妹の祇王・祇女塔」があります。 |
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阿弥陀寺 (魚の御堂礎石) |
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神戸市兵庫区中之島2-3-1 | ||
平清盛が魚を供養するために建てた「魚の御堂礎石」と云われています。 | ||
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清盛くん | ||
神戸市兵庫区中之島2-1 | ||
奈良時代より天然の良港として知られ、平安時代には平清盛によって大修築が行われ、大輪田泊は兵庫津と呼ばれました。 | ||
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清盛塚 | ||
神戸市兵庫区切戸町1 | ||
平家滅亡と同時にお寺など、ことごとく破壊されました。 百余年後に、平家一門の栄枯盛衰を哀れんだ執権・北条貞時が建てたたのが、この十三重塔と云われています。 |
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琵琶塚 | ||
神戸市兵庫区切戸町1 | ||
江戸時代から琵琶の名手・平経正の墓と云われてます。 平経正は清盛の弟・経盛の長男で敦盛の兄にあたります。 |
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清盛橋 | ||
神戸市兵庫区芦原通1-1 | ||
清盛塚の道路を挟んで南側の橋です。 |
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住吉神社 (兵庫の津) |
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神戸市兵庫区切戸町1-3 | ||
兵庫の津は、古来風浪を避ける場所が無く、大風浪時には船を避難させることができませんでした。 明治10年に新川が完成し、安全になると地元住民の熱望により、海の守護神の住吉神社を勧請しました。 |
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真光寺 (音楽弁財天) |
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神戸市兵庫区須佐野通1-1-62 | ||
清盛七弁天の一つ (音楽辨天) |
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薬仙寺 (萱の御所) |
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神戸市兵庫区今出在家町4-1-14 | ||
「牢(楼)の御所」ともいわれ、平清盛が後白河法皇を幽閉した所です。 | ||
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和田神社 (清盛七弁天) |
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神戸市兵庫区和田宮通3丁目2-45 | ||
清盛七弁天の一つ (健康辨天) 承安3年(1173)には、平清盛がこの地に広島は安芸の宮島より市杵島姫大神を勧請しています。 |
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