来迎寺
(松王入海の碑、祇王・祇女塔)

兵庫県神戸市兵庫区島上町2-1-3
兵庫県の源平史跡1 
 
JR兵庫駅から南の阪神高速下の43号線を東へ走ります。

柳原交差点を南へ入り、入江通2交差点から斜め東側へ、築島三差路を北へ曲がり100mほどには来迎寺、境内には松王入海の碑がありました。

 
二条天皇の御代、平清盛公はわが国の貿易の中心地は、この兵庫であるとの確信をもって、良港を築くため海岸線を埋め立てる工事に着手します。

しかし、潮流が早く非常な難工事で、完成目前に押し流されることが二度に及びました。

時の陰陽師は
「これは竜神の怒りである。三十人の人柱と一切経を書写した石を沈めると成就するであろう」と言上するのです。

    
清盛は、生田の森に隠れて関所を構え、通行の旅人を捕えさせたが、肉親の非難は大きかった。

この時、清盛の侍童で香川の城主・田井民部の嫡男松王十七歳が「人柱のことは罪が深い。 わたしひとりを身代わりに沈めてください」と申し出るのです。

応保元年(1161)、松王は海底に沈み経ケ島は完成、これが神戸港の生い立ちなのです。
  
  
 隣には「祇王・祇女塔」があります。

清盛が愛した近江出身の白拍子の姉妹で、清盛が仏御前という別の白拍子に心変わりされ寵愛を失うと、京都嵯峨野の祇王寺で尼になるのです。

『現地説明を参照』

Home  兵庫県の源平史跡1