兵庫県神戸市兵庫区七宮町2-33 | |
兵庫県の源平史跡1 | |
JR兵庫駅から南の阪神高速下の43号線を東へ走ります。 七宮交差点を南へ入り、すぐ七宮神社はありました。 平安末期の平家隆盛の頃には、七宮神社に関する記録が残されているので、千年以上の歴史を持つ古社であると云われています。 |
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平家一族が尊崇された神社で、平清盛公が兵庫津を整備するにあたり、経ケ島築造の為に、会下山の南に塩槌山という大きな山があって、「この山を削って経ケ島をつくろう」ということになりました。 応保元年(1161)、昼夜分かたぬ大工事が始められましたが、激しい風が吹き、波が高まって土砂を流し去ってしまいます。 |
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人夫も清盛たちも疲れきってしまい、「いったいどうして島ができぬであろう」という清盛のところへ、家臣の阿波民部重能がやってきて、「これは塩槌山の岩影に大己貴命が祀られており、それを知らずに山を崩し海に埋めようとしたので、この神が怒って暴風雨を起こすのではないか」といいました。 そこで清盛自筆の「南無七大明神」の神号を祀られたのが七宮神社と云われています。 『現地説明を参照』 |
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