文覚上人の腰掛け石

兵庫県揖保郡太子町原
兵庫県の源平史跡4
 
姫路バイパス「太子東IC」から179号線を西へ、800mほどで南に曲がると福井大池、ここには文覚上人の石碑がありました。

池の周りをくるくる、南西の隅あたりに文覚の碑がありました。 腰掛け石もあるはずだけど、草で見えないね。

福井荘と呼ばれた荘園は、文覚上人が京都高雄の神護寺を復興するために後白河法皇より譲られます。

ここから西南にある盛徳寺を開基された文覚上人は、ここを政所と定めました。

   
福井荘の主な水源に「福井大池」「福地河原」があり、福井大池は隣の大田荘内にあったため、池が埋められ、田地にされるという話で文覚上人は抗議したという話があります。

文覚上人は、この地で人々の生活の礎を築いたのです。

上人の没後は、荘園の政所としての役を失い、盛徳寺も廃寺となっていくのです。

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