西光寺

京都府亀岡市安町31
京都府の源平史跡2
  
JR山陰本線「亀岡駅」から南の403号線を西へ進みます。

ふれあい通りを超え、左カーブして次の信号を西へ曲がると150mほどで西光寺がありました。

 
天平勝宝元年(749)、東大寺建立や社会福祉事業などに貢献した行基が、阿弥法師とともに勧進され、現在地の西、蓍山:しばやま(安行山)の麓に庵を建立され、基行院と称したのが始まりです。

その後、治承元年(1177)に藤原成親や僧俊寛など、後白河院の近臣が平家討伐を謀議した事件として知られる鹿ヶ谷事件に関わり死罪となった藤原師光入道西光法師の遺骨を、後白河院の命により同庵に埋葬し、西光寺として一字が建立され、開山を西光法師としています。

  
西光法師は、阿波国の在庁官人の子といわれ、藤原通憲入道信西の家人となり、その推挙により、左衛門尉に任じられた廷臣です。

平治の乱(1159)では、信西に従い京を逃れて出家し、西光と称していました。

鹿ヶ谷事件では、藤原成親や僧俊寛などと平氏討伐を計画していましたが、多田行綱の密告により発覚、死罪となるのです。

『現地案内を参照』

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