平等院 (源頼政の墓所)

京都府宇治市宇治蓮華116
京都府の源平史跡2
   
宇治の平等院、実は訪れた時は、お寺を見にいったんだよね。

頼政のお墓は後で知ったよ、挙兵が七十六歳の時、人生の最後に駆けたんだよね。

  
源頼政は平清盛の横暴を憤り、高倉宮以仁王の令旨を奉じ平家打倒の義兵を挙げ、治承4年(1180)5月26日、頼政は三井寺の僧兵と共に宇治に在りました。

平知盛は大軍を率いて宇治に迫り、頼政衆は大敗するのです。

頼政は平等院境内に於いて自刃、時に頼政は七十六歳の老齢だったのです。

     
通圓家の初代は、古川右内といい、源頼政の家臣でした。

頼政から「政」の字を賜り、大敬庵通圓政久と名乗り、平治の乱の直後、宇治橋の東詰に庵を結びます。

治承4年(1180)、頼政が平氏打倒の兵を挙げると、頼政のもとへ馳せ参じた宇治橋の合戦で平家の軍と戦い命を落とすのです。

『現地案内を参照』

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