頼政塚

京都府亀岡市西つつじケ丘大山台1丁目-18-2
京都府の源平史跡2
  
JR山陰本線「亀岡駅」から南の9号線まで出てきます。

東へ走り、頼政塚交差点から南の道に入り、400mほどで次の信号を西へ曲がり、50mほどで南へ曲がると、低いようでしんどい丘の上には頼政塚がありました。

 
源頼政は、兵庫県川西市周辺に広がる、摂津多田庄を本拠とする源満仲の長男で、大江の鬼退治で知られる源頼光の子孫です。

頼政もまた弓の名手として知られ、禁裏に夜な夜な現れる鵺(ぬえ)に悩まされた近衛天皇の命により、弓矢で見事退治しました。

その恩賞として、丹波に領地を賜り、弓矢の功績で得たことから「矢代庄(矢田荘)」と呼ばれていました。

    
世は平家一門の専横の時代、治承4年(1180)、頼政は以仁王の令旨をもって平家追討の兵を挙げました。

この時、田野町の神蔵寺の僧兵も呼応し馳せ参じましたが、その利無く宇治川の合戦で敗れ、宇治平等院で自刃します。

その亡骸は、郎党の猪早太が領地であった矢代荘に持ち帰り、この地に葬った塚が頼政塚なのです。

『現地案内を参照』

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