建仁寺 勅使門(矢ノ根門)

京都府京都市東山区小松町
京都府の源平史跡2
   
建仁寺勅使門は、銅板葺切妻通の四脚門で、鎌倉後期の遺構を今に伝えています。

柱や扉に戦乱の矢の痕がある事から、「矢ノ根門」又は「矢立門」と呼ばれています。

元来、平清盛の長男重盛の六波羅邸の門、あるいは清盛の異母弟・平教盛の館門を移建したものと云われています。

傷は源平合戦でついものとも、足利尊氏の六波羅攻めの時とも云われています。

    
建仁寺は鎌倉時代の建仁二年(1202)に、日本臨済宗の開祖である栄西禅師により創建され、年号をとって建仁寺と名付けられました。

俵屋宗達の「風神雷神図屏風」や、ここ法堂の天井には畳百八畳分の「双龍図」が描かれています。

方丈の北側には関ケ原で西軍に付いて敗れ、六条河原で斬首された案国寺恵瓊の首を建仁寺お僧侶が持ち帰り、葬ったと云われる首塚があります。

『参考文献および現地案内を参照』

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