清水寺

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京都府京都市東山区清水1丁目294
京都府の源平史跡2
 
平安の初めの頃、桓武天皇に重用された征夷大将軍・坂上田村麻呂によって建立されました。

 
比叡山延暦寺と奈良興福寺は仲が悪く、清水寺は興福寺の末寺でした。

延暦寺の衆が京へ押し寄せると、検非違使は西坂本に向かい防御するのですが、衆はものともせずに京へ入ります。

そのうち「後白河法皇が比叡山に対し平家を追討せよ」と聞こえてきたのです。

平氏一族は六波羅に集まると、後白河法皇も六波羅へ御幸されました。

   
しかし延暦寺の衆は、六波羅を攻めずに清水寺に押し寄せ、一つ残らず焼いてしまうのです。

清盛は「後白河法皇には用心」といいます。

一方、後白河法皇は「そんなことは露にも思っていないのに」と言うと

院の重習・西光は「平家は出世し過ぎたので、天が言っているのでしょう」と申すのでした。

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