京都府京都市東山区松原通大和大路東入2丁目轆轤町(ろくろちょう) | |
京都府の源平史跡2 | |
天歴5年(951)、醍醐天皇の第二皇子・光勝空也上人により開創された真言宗智山派の寺院で、西国三十三所の第17番札所として古くから信仰されています。 | |
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平安後期、平忠盛が当寺内に軍勢を止めて以来、清盛や重盛などが広大な域内に平家一門の邸館を置きました。 しかし平家没落の時には、兵火を受けました。 鎌倉時代には幕府の探題も置かれ、源平盛衰の史跡の中心だったのです。 |
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左が平清盛公の塚で、右は阿古屋塚だね。 平家の残党、悪七兵衛景清の行方をさがすため、想い人で五条坂に住む白拍子・阿古屋を捕えます。 代官畠山重忠は、彼女が景清の所在を心に秘めていることを知っていたが、弾かせた三味線、琴などの調べに一点の乱れのないことに感動し彼女を釈放するのです。 『現地説明を参照』 |
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