後白河天皇 法住寺陵

京都府京都市東山区本瓦町670-9
京都府の源平史跡2 

  
天台宗の寺で、永祚元年(えいそ)右大臣藤原為光が、その夫人と娘・?子(きし:花山天皇女御)の菩提を弔うため建てました。

当時は、北は七条通、南は八条通、東は東山山麓、西は大和大路に及ぶ広大な地域を占めていましたが、のち火災により荒廃しました。

保元3年(1185)、後白河天皇は、法住寺の地を院の御所と定められ、上皇となって住まわれました。

   
本尊の不動明王像(身代わり不動尊像)は、方除けの像として朝野の信仰を集め、後白河天皇は守護仏として崇められ、法住寺を復興されたのも二の像の霊験を体験されたからだと云われています。

大石良雄も義挙の成就を祈願しており、当寺には四十七士木像を安置しています。

『現地案内を参照』

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