小督局

京都府京都市右京区嵯峨天龍寺造路町
京都府の源平史跡1 

11月の嵐山は紅葉、渡月橋のたもとには「琴きき橋」の碑がありました。

小督局は、桜町中納言藤原成範の娘で、宮中で美人の誉れ高く、高倉天皇(第八十代在位1168−80)の寵愛を一身に集めていました。

しかし、平清盛の娘・徳子(建礼門院)が、中宮であったため平家の圧迫をおそれて、この地嵯峨野に身を隠します。

高倉天皇は弾正大弼源仲国に小督局を探すことを命じました。

源仲国は、嵯峨野の秋霧の間にかすかに聴こえる琴の調べを便りに、遂に局の居所を探し得たのです。

渡月橋の北詰にある石橋は「琴聴橋」と呼ばれ、仲国が想夫恋の曲を聴いたところと云われています。

のち小督は高倉天皇とひっそりと逢い子供を授かるのですが、平清盛の知るところとなりました。
天皇は二十一歳で崩御され東山の清閑寺に葬られ、小督は出家し尼となって、天皇の菩提を弔いました。

嵯峨野に身を隠した時の仮住居は、「小督塚」の辺りであったと云われています。

『現地案内を参照』

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