高倉宮跡

京都府京都市中京区東洞院通姉小路下る曇華院前町
京都府の源平史跡1 
 
地下鉄「烏丸御池」を東に出て、東洞院通り沿い教育相談総合センターの西側には高倉宮跡の石碑がありました。

大きな石碑なのに、一度は見逃してしまったのは何故なのだろう。

  
この地は平安京の左京三条四坊四町にあたり、平安時代末、後白河法皇の皇子・以仁王の御所高倉宮がありました。

でも皇位継承では、異母弟である憲仁親王(のちの高倉天皇)の母である平滋子(建春門院)により阻止されたと云われています。

のちこの地には、尼寺の曇華院(どんげいん)が営まれ、明治には郵便局や日本銀行京都支店となりました。

   
もう一つ東の高倉通り、京都文化博物館に入ると顔の体温を測る画像センサーを何回も試し、横には少し下がった地下に平安時代の建物がある。

当時の人々が暮らしていた地面の高さらしい、この高さ分の土はどこから来たのか不思議な感じです。

『現地案内を参照』

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