源平合戦水島古戦場
(源氏方)

岡山県倉敷市玉島乙島
岡山県の源平史跡 
 
山陽自動車道「玉島IC」から南の2号線を西へ走ります。 B.P停車場線の交差点から41号線を南へ、中央町一交差点から429号線を西へ、変電所前交差点から47号線を南へ走ります。

玉島大橋東側の常照院には「源平水島合戦城跡」の碑がありました。

   
玉島大橋を東へ渡り、北側の常照院を目指します。 でも歩いて目指した方がいいみたいよ。

寿永2年(1183)閏10月1日、木曽義仲の客将矢田判官代義清、信濃国住人海野弥平四郎行廣率いる源氏軍と、新中納言知盛、能登守教経率いる平家軍が、風荒れる水島で凄絶なる海上戦を展開します。

これが世にいう水島合戦です。

     
味方の水軍に、

「いかに者共、いくさをはゆるに仕るぞ、北国のやつばらに生け捕られむをば心憂しとは思うわずや」と、絶叫叱咤する平教経。

宿命的な2つの軍団の運命を暗示するかの如く、天日?々として、俄にかげり白砂の磯を紅に染めて源氏軍の惨敗に終わるのです。

  
途中、城のかくし古井戸とあるよ、兵士たちの飲料水だったんだね。

平家方は、「水島のいくさに勝ちてこそ会稽の恥を雪めけれ」。

星移り時、流れ誰か覚ゆ海風啾々(しゅうしゅう)たるを。

ここに古戦場を俯瞰する城跡に懐古の一碑を献じ、つわもの共の霊を弔うものである。

『現地案内を参照』

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