岡山県倉敷市下津井田之浦1 | |
岡山県の源平史跡 | |
瀬戸中央道「児島IC」から南へ、鷲羽山の南西側、瀬戸大橋の下へ向かいます。 ここは源平の下津井合戦の地、田土浦公園には平行盛の歌碑がありました。 |
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寿永2年(1183)、倉敷で行われた水島合戦で木曽源氏は大敗します。 寿永3年(1184)、下津井合戦で平清盛の弟・平教盛とその子の通盛、教経が下津井に在陣していました。 その時、阿波、讃岐の兵が源氏に寝返り、兵船十余艘で、下津井に攻め寄せましたが、教経に一喝され退却するのです。 |
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元歴元年(1184)の秋,、源軍3万の蹄の音が屋島の平家に届いてきます。 藤戸合戦の総大将である平行盛は、源氏を児島で迎え撃つために下津井田之浦に進駐しました。 しかし行盛は、過ぎし日の平氏の盛時を想い、仲秋の名月をここで眺め、無常と没落の吐息を洩らしたのです。 『現地案内を参照』 |
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