岡山県和気郡和気町藤野538 | |
岡山県の源平史跡 | |
倉光三郎成澄は木曽義仲の家臣でした。 寿永2年(1183)、義仲は以仁王より平家追討の令旨を受け、越中と加賀国の国境にある倶利伽羅峠にて平維盛軍と争います。 倉光三郎成澄が平氏を追って西む際、捕虜になった岡山出身で平家方の武将・妹尾兼康に道案内をさせました。 |
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しかし和気氏の氏寺・藤野寺跡(実成寺)にて、倉光三郎成澄は妹尾兼康に夜討されるのです。 藤野寺跡から北へ数百mには石碑があり、そこを東へ進めば和気清麻呂公碑と和気政庁の跡碑がありました。 |
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