那須与一公菩提寺(永祥寺)

岡山県井原市西江原町5512
岡山県の源平史跡 
  
国道486号線「井原警察署東三叉路」を北の166号線へ、3kmほどで西側の集落へ入ると永祥寺が那須与一公の菩提寺です。

那須与市が屋島の合戦の功績で荏原荘を与えられ、那須氏は地頭として入りました。

屋島の源平交戦の際、その名をはせた那須与市宗隆は稲荷を守護神とし、戦場でも肌身を離さなかった。

平家の船が扇を竿の先につけ、舳(舳先:へさき)に立たせて源氏の兵に射せしむ、射矢じなば生還せずと、右袖を波うちぎわに投捨てる。

その袖を拾った同族の主、おし戴いて(いただく)。

稲荷大明神に大願の成就を祈念す。

   
与市その扇の要を一矢にて射抜き、戦功に依り荏原庄を賜わり、その孫荏原に小菅城を築き城内に稲荷を祀り、御神体と共にその片袖を安置する。

最初は片袖稲荷と申上げていたが、いつ頃からか袖神稲荷大明神と唱え、小菅城より永祥寺境内に遷し祀る。

『現地案内を参照』

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