笹無山

岡山県倉敷市藤戸町天城945
岡山県の源平史跡 
  
瀬戸中央自動車道「早島IC」から2号線を西へ、倉敷川を渡る手前の信号で22号線を南へ走ります。

名田の信号から倉敷川の東側を走る道路を東南へ、乗り出し岩を過ぎて、瀬戸中央自動車道をくぐり、すぐに信号を北へ200mほどの交差点を北へ曲がり、400mぐらいには笹無山がありました。

藤戸合戦で渡海先陣の偉功をたてた武将のかげで、名もない老母の嘆きをこの小山は秘めています。

船のない源氏は攻めあぐね、対岸の平氏の陣をみつめるのみでした。

佐々木盛綱は浜で思案していると、藤戸の海を自分の庭のように熟知している浦の男に出合います。

男は盛綱の求めに応じ、一条の浅瀬があることを教えます。

   
同行してくれれば、褒美をとらすとの盛綱のことばを信じ、海中に入り目印の笹をたてながら先にたって案内しました。

しかし盛綱は、無慈悲にも切り捨て海中に沈めるのです。

これを知った老母は半狂乱となり、佐々木と聞けば笹まで憎いと笹をむしり取り、恩を仇で返した盛綱の残酷なしうちをのろいます。

後世、この小山には笹が繁ることが無い小山なのです。

『現地案内を参照』

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