先陣庵

岡山県倉敷市粒江2450
岡山県の源平史跡 
  
瀬戸中央自動車道「早島IC」から2号線を西へ、倉敷川を渡る手前の信号で22号線を南へ走ります。

名田の信号から22号線を南東へ、粒江小南の信号から東の道へ、400mほどで南の集落へ入ると西明院、ここの境内には先陣庵がありました。

今から約八百年の昔、寿永3年(1184)、源平藤戸合戦の行われた頃は、このあたりまで一面海でした。

対岸の源氏の陣中より佐々木盛綱が馬で海を渡切り、この地に上陸し、一気に平氏の陣に攻め入り、源氏を勝利へ導きました。

   
当時馬で海を渡るなど、前代未聞、驚異的な行為で、のちに盛綱は、この地に「先陣寺」という寺を建て、戦没将兵と、渡海の手引きをしてくれた恩あるにもかかわらず、他言を封じるため命を奪った浦男との冥福を祈りました。

当時は規模も広大でありましたが、いつしか衰え、一字の小庵に名残りを留めているにすぎなくなりました。

『現地案内を参照』

 
 「源平藤戸合戦沖ケ市激戦地の碑」
 
 
先陣庵から北側の集落を抜けて、道沿いにあるよ。

「源平藤戸合戦沖ケ市激戦地の碑」とあるね。

平家方の本陣がもう少し南だから、源氏方の佐々木盛綱が海を渡って上陸してきたあたりかな。

きっと、この辺りで、大激戦があったんだよね、碑があって良かったね。

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