岡山県岡山市北区吉備津1441 | |
岡山県の源平史跡 | |
JR桃太郎線(吉備線)の吉備津駅から南へ、国道180号線の岡山市吉備津交差点をそのまま南へ走ります。 100mほどで東に曲がり、鯉山小学校の北側の道路を進むと、妹尾太郎兼康公のお墓がありました。 |
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妹尾太郎兼康公(1126-83)は、このあたり板倉郷の豪族でした。 高梁川の湛井(たたい)から水を引き、今も使われている十二郷用水路を改修した人物です。 なかなか落ち着いて見れないね。 |
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平清盛の信頼を受け、平家の侍大将として、寿永2年10月12日、木曽義仲の軍勢と、笹迫(ささがせ)や板倉城で戦い、討ち死にしたと云われています。 その後、陶山道勝(すやまみちかつ)は屍を城跡に埋め、供養のため寺を建てました。 お寺は道勝寺といい、今の鯉山小学校だそうです。 『現地案内を参照』 |
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