湛井堰(たたいぜき)

岡山県総社市井尻野
岡山県の源平史跡 
  
岡山自動車道「岡山総社IC」180号線を西へ、JR伯備線を越えて北へ走ります。

高梁川東岸に出てすぐ、湛井堰がありました。

平安時代末期の武将・妹尾太郎兼康は、備中妹尾郷に所領をもち、田に水を引くため、堰の築造と用水路の改修を命じます。

兼康は、堰の位置をどこにするか悩んでいましたが、ある日高梁川を眺めていた兼康の目に、白蛇が川を横切り向こう岸に渡るのが見え、その場所に堰を造ります。

   
十二ケ郷用水の主な水路についても、兼康は馬に乗って各地を回り、用水路に適した目印に竹を立て、水路を掘らせました。

しかし、兼康は源義仲との戦いで果敢に戦うも敗れ、勇ましく戦死をするのです。

『現地案内を参照』

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