水無瀬神宮

大阪府三島郡島本町広3丁目10-24
大阪府の源平史跡 
  
JR東海道本線「島本駅」から東の67号線(西国街道)を北へ、500mほどの東側には水無瀬神宮がありました。

どこまでも続く西国街道を外れると、道幅も少し広く、ほっとするよね。

 
後鳥羽上皇・土御門天皇・順徳天皇が祀られているよ。

承久3年(1221)、後鳥羽上皇が鎌倉幕府執権・北条義時に対し討伐の兵を挙げました。(承久の変)

土御門上皇はこれに反対し、順徳天皇は倒幕に積極的であったが、戦いは敗れます。

後鳥羽上皇は隠岐へ、順徳天皇は佐渡島へ、反対していた土御門上皇は自ら土佐(のち阿波へ)へ配流されました。

      
流配後、上皇の離宮であった水無瀬殿の跡地に、 後鳥羽上皇を弔うため建てられた御影堂(みえどう)が水無瀬神宮のはじまりと云われています。

文禄年間(1593-96)、大盗石川五エ門が神宝の太刀を盗まんと数日間忍びうかがいしも神威にうたれ、足一歩も門内に入れず、この門柱に手形を残し立ち去ったと云われています。

網の中だと思うけど、よく分からなかった。

『現地案内を参照』

Home  大阪府の源平史跡