滋賀県大津市馬場 | |
滋賀県の源平史跡 | |
河内源氏の一門で、2歳の時に父・源義賢が源義平に討たれ、のち木曽で育てられます。 治承4年(1180)、以仁王の令旨で挙兵、上野に進出しました。 源頼朝との衝突を避け、北陸に進出、平維盛を破り京都を占領します。 |
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木曽義仲の墓 しかし軍隊に統率がなく、後白河法王に平家追討を命じられて西へ下ります。 その時、頼朝に義仲追討の命が下るのです。 義仲は京に帰り、征夷大将軍になるも源義経、範頼の率いる追討軍のために近江粟津で敗北、この地で眠るのです。 |
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巴塚 木曽義仲の愛妻巴は義仲と共に討死の覚悟で、ここ粟津野に来て最後の戦いを行い敵将・恩田八郎を討ち取ります。 そして義仲から強い言葉で落ち延びよと言われ、涙ながら落ち延びたのち、鎌倉幕府に捕らえられました。 和田義盛の妻となり、義盛戦死のあとは尼僧となり、この地に戻り、亡き義仲の菩提を弔い、のち信州木曽にて九十歳の生涯を閉じました。 |
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山吹供養塚 山吹は義仲の妻とも妾とも云われ、病身のため京に在りましたが、義仲に逢わんと大津まで来ました。 義仲戦死の報を聞き、悲嘆のあまり、自害したとも、捕らわれたとも云われています。 元は大津駅前に在りましたが、この地に移されたのです。 |
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