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義仲寺 (木曽義仲の墓所) |
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大津市馬場 | ||
源義仲(木曽義仲)が討たれると、愛妾であった巴御前が墓所の近くに草庵を作り、日々供養したことに始まると云われています。 | ||
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巴塚 (義仲寺) |
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大津市馬場 | ||
木曽義仲の愛妻巴は義仲と共に討死の覚悟で、最後の戦いを行います。 落ち延びた後、鎌倉幕府に捕らえられ、この地に戻り義仲の菩提を弔いました。 |
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山吹供養塚 (義仲寺) |
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大津市馬場 | ||
山吹は義仲の妻とも妾とも云われ、病身のため京に在りましたが、義仲に逢わんと大津まで来ました。 | ||
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おとせの石 | ||
大津市本堅田 | ||
おとせは源氏の白旗を守って大津に逃れ、湖に飛び込みますが、平家の侍に白旗を握ったまま手を切り落とされて命を落としてしまうのです。 その子は、母の意志をついで、白旗を守護し、のち木曽義仲の武将・手塚太郎光盛になったと云われています。 |
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仰木太鼓 | ||
大津市仰木 | ||
源満仲公は仰木に在任し10年余り過ごます。 満仲は小椋神社を深く信仰し、五基の神輿を氏神に献上、この祭りの進行役として重要な役割を果たしてきたのが仰木太鼓だそうです。 |
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妓王寺と祇王井川 | ||
野洲市中北90 | ||
妓王は平清盛の寵愛をうけたのですが、のち、清盛に追放され京都山嵯峨野に隠れ住んだと云われています。 そして妓王・妓女姉妹とその母の佛御前の菩提を弔うために建てられたお寺です。 |
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土安神社 (てやすじんじゃ) |
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滋賀県野洲市永原 | ||
妓王はふるさとの用水不足の嘆きを清盛公に申し上げたところ、三上山のふもとの野洲川より分水して水路を開通しました。 | ||
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平家終焉の地 | ||
野洲市大篠原86 | ||
元暦2年(1185)、壇ノ浦合戦で破れた時、建礼門院、宗盛父子、清盛の妻の兄平時忠は捕らえられました。義経は都に首を持ち帰るため、宗盛・清宗を斬り胴を埋め塚が建てられたのです。 | ||
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蛙不鳴池 (首洗い池) |
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野洲市大篠原 | ||
源義経が平宗盛とその子清宗を処刑した時、この池で首を洗い、あまりにも哀れで、蛙が鳴かなくなったとの言い伝えから「蛙不鳴池(かわずなかずのいけ)」と呼ばれています。 | ||
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義経宿泊の館 | ||
蒲生郡竜王町鏡1310 | ||
牛若丸は京の鞍馬山からの途中、鏡の宿(白木屋)に泊まりました。 | ||
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義経元服池 | ||
蒲生郡竜王町鏡 | ||
平家の追ってが探しているのを聞き、幼い姿では見つかりやすいので、鏡池の石清水で前髪を落とし元服しました。 | ||
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義経 烏帽子掛けの松 | ||
蒲生郡竜王町鏡128 | ||
承安4年(1174)3月3日、鏡の宿で元服した牛若丸は、この松枝に烏帽子を掛け鏡神社へ参拝し、源義経と名乗りをあげ源氏の再興と武運長久を祈願しました。 | ||
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鏡神社 | ||
蒲生郡竜王町鏡1289 | ||
鞍馬山からの途中、鏡の宿(白木屋)に泊まり、元服し源九郎義経と名乗ります。 天日槍尊と新羅大明神を祀る鏡神社に参拝し、源氏の再興と武運を祈願したと云われています。 |
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