京都霊山護国神社

京都府京都市東山区清閑寺霊山町1
京都の神社めぐり
   

幕末、維新に殉じた志士と、それ以降、大東亜戦に至る京都府出身の英霊7万3千11柱を奉祀しています。

幕末、各藩が東山三十六峰の中心であるここ霊山に、それぞれ殉難者を祀ったのが当神社の起源です。

明治元年(1868)5月に、太政官布告をもって我が国初の官祭招魂社とすべきことが定められました。

慶応3年(1867)11月15日、午後6時頃、中岡慎太郎が坂本龍馬が寓居する近江屋を訪問します。

この2,3時間後、刺客の襲撃に遭い、坂本龍馬は命を落とし、中岡慎太郎も2日後に息を引き取りました。

近江屋にて葬儀が行われ、ここ霊山に埋葬されています。

少し歩く。

土佐の吉村虎太郎、天誅組総裁・藤本鉄石はじめ沢山のお墓が並びます。

元治元年(1864)6月5日、新選組は古高俊太郎を捕らえ、新選組・近藤勇、沖田総司、永倉新八、藤堂平助らが池田屋に襲撃。

池田屋の変で犠牲になった熊本藩士・宮部鼎蔵、松田重助、長州の吉田稔麿らのお墓も並びます。

龍馬のふるさと高知県では、よさこい鳴子踊りが盛んに行われ、11月15日の命日には境内にて「龍馬よさこい」の舞を捧げています。

幕末維新の三傑と呼ばれた長州出身の志士・桂小五郎は、京都で病床に臥しながらも、この国の行く末を案じました。

松子夫人の墓域にて、桂小五郎の命日である5月26日には「松菊祭」を行なわれています。

霊山神域内には、坂本龍馬、中岡慎太郎、木戸孝允(桂小五郎)、平野国臣、宮部鼎蔵をはじめ、蛤御門の変、天誅組の義挙などに加わった志士の墓三百余基があり、明治維新を偲ぶ大霊域・史跡になっています。

京都に集まった幕末維新の志士たち、今日の夕陽も静かに眠ります。

『現地案内を参照』

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