兵庫県加古川市西条山手2-1-21 | |
兵庫の古墳めぐり | |
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加古川東岸の台地上に位置する行者塚古墳(ぎょうしゃづか)、人塚古墳(ひとづか)、尼塚古墳(あまづか)は、「西条古墳群」と呼ばれています。 かつて数十基の古墳が点在し、弥生時代終末期の墳丘墓として、著名な西条52号墓なども所在していましたが、現在は消滅しています。 行者塚古墳の発掘調査では、良好に残る葺石・埴輪列の検出、造出の機能解明につながる資料群の出土、舶載品を多く含む副葬品箱の発見など、古墳研究に影響を与えるような大きな成果をあげています。 |
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人塚古墳の調査では、墳丘の形状把握を試み、特に開発により消失したとされる造出(ぞうしゅつ:つくりだし:古墳の墳丘につけられた円形または方形のテラスのような場所)の痕跡から、墳丘西寄りに2か所の造出が存在した可能性があるこtがわかりました。 尼塚古墳では、墳丘の形状を捉えることができ、造出が一つ付く特徴的な墳丘から、西条古墳群の首長墓の中で最も新しい時期のものであることがわかりました。 |
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造られた時期は、前方後円墳の行者塚古墳(5世紀前半)、造出付円墳の人塚古墳(5世紀前半)、尼塚古墳(5世紀中頃)で、この地に連続して築かれた有力な王の墓であることが明らかになってきました。 ここは北山公園から入ったところにある「西条廃寺」跡です。 人塚古墳には瓦窯跡1基が発見され、出土した瓦の製作技法が西条廃寺の瓦の技法と一致し、この窯が西条廃寺へ瓦を供給するためのものであったことがわかりました。 『現地案内を参照』 |
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